天下無敵 必勝利運の神社 霊光殿天満宮
天から一条の光と共に天一神と帝釈天が降臨したところ
蒙古襲来の時、敵国降伏の祈祷を行えば 船は沈没した
寛仁2年(1018年)、菅原道真の6代後の子孫にあたる菅原義郷が勅命により、かつて道真の領地であったとされる河内国若江郡に神殿を建てたのが始まりである。社名は、道真の左遷の際、天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるものである。蒙古襲来の時には後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたところ元の船がことごとく沈んでしまったので『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。応仁の乱の際に社領を失い、東寺境内に遷された。
徳川家康は当社を深く崇敬し、元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をし、また、若江家の再興に尽力した。家康の死後の寛永13年(1636年)、徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し、祭神とした。江戸時代に社家の若江家が再興され、塔之段に社殿を再建、宝暦11年(1761年)に現在地に鎮座した。現在の社殿は、明治5年に近衛家の旧鎮守社を移築したものである。
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霊光殿天満宮の場所
霊光殿天満宮
〒602-0932 京都府京都市上京区徳大寺殿町365
霊光殿天満宮 でお参りした感想
住宅街にある小さな神社
一歩入るとすごく落着く感じ
境内にある石碑は富岡鉄斎の書らしく、清荒神清澄寺の鉄斎美術館と交流があるそうです
御朱印をお願いした時にいろいろ教えていただきました。
晴明神社も気になってるって言ったら丁寧に教えていただきました。
人柄の良さを感じるお参りでした
安倍晴明公をお祀する晴明神社
屋敷跡に晴明を祀る神社を創建
晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……
寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時の境内は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通まであり、かなり広大であった。しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小し、社殿も荒れたままの状態となる。また、隣接して千利休の屋敷が設けられていた。
幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われている。明治時代になると村社に列せられた。
1950年(昭和25年)には堀川通に面するように境内地が拡張されている。
平成以降、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、主人公である安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。晴明歿後千年となる2005年(平成17年)には安倍晴明千年祭が行われた。
2017年(平成29年)に二の鳥居の社号額が新調され、安政元年(1854年)に土御門晴雄により奉納されたものを忠実に再現したものとなった。
一の鳥居の社号額には五芒星の社紋が描かれている。
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晴明神社の場所
晴明神社
〒602-8222 京都府京都市上京区晴明町 806堀川通
霊光殿天満宮で教えてもらったように歩いて5分ほどでした
戻橋も見ました
お昼は四条大宮の中華料理 雲海
担々麺が有名なのに日替わりランチの台湾ラーメン...
台湾ラーメンも美味しかったので、今になって担々麺が食べたい
なんか大盛ぐらい麺がありました
おなかいっぱいで満足
雲海
〒600-8389 京都府京都市下京区四条大宮町27−6
お昼ごろ京都の大宮駅について雲海で食べて、バスで霊光殿天満宮に行って、歩いて晴明神社に行って、バスで四条河原町に戻りました。
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